4月14日

ついに快進撃を始めたX、売れまくったインディーズ「Vanishing Vision」

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X のファーストアルバム『Vanishing Vision』がリリースされた日
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ゴールデンウィークになると X JAPAN をどうしても思い出す。

5月2日は HIDE の命日だからだ。

そして、今も伝説を作り続ける X JAPAN について、若い人にぜひ伝えたい「時期」がある。その昔、X はどういう空気の中、演奏をしていたのかを記しておきたい。

結論から言うと「昔から凄かった」という事だが、「そんなの知ってるよ」という声がファン全員から聞こえてきそうだ。それはその通りなのだが、私が伝えたいのは当時の世相や当時の音楽シーンについての話だ。

そう、ときはインディーズ時代。X 初のフルアルバム『Vanishing Vision』は1988年4月14日にリリースされた。

1988年と言えば昭和63年であり、平成が始まる少し前。表の音楽シーンではジャニーズの光GENJI がとにかくチャートを独走。他はサザン、中山美穂、長渕剛、尾崎豊、氷室京介、久保田利伸などがヒットを飛ばしていた。そんな中、インディーズの状況はどうだったのか? これまた非常に面白い状況だった。

インディーズでは有頂天、ウィラード、ラフィンノーズがインディーズ御三家と呼ばれ鳴り物入りでメジャーから出したりしていたが、Xの人気が出るのはもう少し後のことだ。

この時期はバンドブームでもあり、とにかく様々なバンドが地下で活躍していた。バンドブーム以前にはパンクブームやジャパメタブームが地下で拡がっていた。そしてそれに対抗するかのように文化系のバンドも跋扈していた。

何がロックだかメタルだかハードコアだかわからなくなる位インディーズは混沌としていて、今と全く違ってライブハウスが足りない状況だったのだ。

そんな中、Xは自主でシングルを発売したもののあまり話題になってなかったと思う(今は超プレミア盤だが)。ところが、『Vanishing Vision』発売前、急にXの知名度が全国区になる。

ここで若いファンに言っておきたいのは、知名度が上がったのはバラエティー番組に出たからだけではなかったという事。当時、いわゆるインディーズ盤というのは限られたレコード屋でしか取り扱ってなかったのだ。だから、タワーレコードなどでインディーズ盤を置くのはまだ先のことなのだ。

ではなぜ発売前に全国区に名前が知れ渡ったのか? それは自主盤を置く店の大半がXを応援したからだ。いや、応援という言葉は適切ではないかもしれない。どちらかと言えば自主盤を置く店に対するプロモーションがとにかく凄かったのだ。

発売を前に店内の壁は『Vanishing Vision』のポスターだらけ。入り口も出口もX、X、X、X、だったのだ。これは今にして思えばメンバーもヨシキ(レーベル含む)も、かなりの額をプロモーションに費やしていたと思う。

また、インディーズを取り扱う音楽雑誌にも広告をカラーで載せまくる。それに加えてのバラエティー番組出演だ。そう、彼らはデビュー前にすでにメディア戦略を行っていたのである。そりゃあバンド名を覚えるというものだ!

そしてこの時期、日本のハードコアはとにかく怖く、同時にとてつもないエネルギーを持ったバンドが多かった。ヤンキーの名残がまだまだある時代でライブハウスの治安もかなり悪かった。喧嘩にとどまらず乱闘やドラッグ、暴走族が何故かライブハウスに来てヤジを飛ばす、そんな時代だ。

この治安の悪さの中、Xの素行の悪さも凄いものがあった(笑)。私はメタルよりパンク派だったが、私のみならずパンクスもXだけは別格だという意識があったように思う。それは暴れん坊しかいなかったジャパニーズハードコア業界において伝説的なバンドがXと仲が良かったからに他ならない。そりゃあ一目置くに決まってるってものか(笑)。

インディーズでも治外法権だったハードコアともつながっているうえ素行も悪い、そんなバンドが自主盤を置くレコード屋で、あのルックスのポスターだ。雑誌もX、X、X、X。

だがXが凄かったのはメディア戦略だけではない。これはファンならずともわかると思うが「キワモノかと思ったら音楽がとにかく素晴らしい」という事だ。

スピードナンバーでの凄まじいリフ、ドラムが刻むスピード感、泣かせるピアノ。何よりライブでのテンションの高さ … 。アンダーグラウンドでもメジャーでも天下を取る要素はすべて備えていたのだ。

このインディーズ盤『Vanishing Vision』は、そんな環境のもとで発売され、とにかく高い販売実績だった。

HIDE の命日になると思い出すことが、実は他にもある。それは、酸欠、破壊、救急車等々…、色々と目の当たりにした『Vanishing Vision』のツアーのことだ。とにかくこの時期のツアーには「凄いモンがあった」のだ。ただ、今回のことろは、とても収まりきれないので、時期を改めてその時代の雰囲気も含めて書きたいと思う。若い人にこそぜひ知ってほしいXの魅力をお伝えしたい。

2019.05.02
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