菊池桃子、天使の歌声、僕は彼女の歌声が大好きだ、もちろん今でも。
僕が菊池桃子と出会ったのは1983年11月。当時アイドル雑誌として大人気だった「BOMB」の姉妹誌として創刊されることになった「Momoco」のイメージガールとなり、創刊号の表紙を彼女が飾った時だ。“ヤバイ、可愛い、可愛すぎる、どうしよう” これが僕の菊池桃子に対する第一印象。
でもね、当時かなり困惑したのを覚えている。だって、同じ名前の雑誌が創刊されるってどういう事って、訳がわからなかったから。「Momoco」という名前の雑誌が創刊されることになったのは何故か。知らない方もいるかもしれないので簡単にまとめてみる。
菊池桃子は、1983年10月、ニッポン放送「学園バラエティ パンツの穴」に生徒役で出演し芸能活動をスタートする。この「パンツの穴」の映画化が決定し、そのヒロインに抜擢される。「パンツの穴」は「BOMB」の1コーナーだったこともあり、同時進行していた姉妹誌創刊の企画で雑誌名に彼女の名前を採用することを決定。当時、桃子という名前が非常にアイドルらしく、アイドル雑誌の名前に相応しいということだったようだ。
いわゆる彼女の売り出し戦略だったわけだけど、自分と同じ名前の雑誌を創刊するという売り出し戦略なんて、後にも先にも菊池桃子しかいない。菊池桃子はそのくらいの逸材だったというわけだ。
菊池桃子が「青春のいじわる」で歌手としてデビューしたのは1984年4月21日。彼女の歌声を初めて聴いた時、その透き通るようは囁きボイスに、僕は一聴き惚れ(ひとききぼれ)してしまう。「Momoco」の表紙で一目惚れもしていた訳で、僕は菊池桃子を全力で応援しようと決めた。自分一人だけに耳元で囁くように歌ってくれているような独特な歌声は、未だに僕を癒してくれる。人によって好き好きだと思うけど、菊池桃子の歌声は僕にとってはまさに天使の歌声だ。
作曲を手掛ける林哲司の力量に頼るところが多いのはもちろんだけど、菊池桃子の歌は実にいい曲が多い。実際、菊池桃子の曲は良く売れた。4枚目のシングル「卒業-Graduation-」から「BOYのテーマ」「もう逢えないかもしれない」「Broken Sunset」「夏色片想い」「Say Yes!」「アイドルを探せ」と7曲連続ナンバーワンを獲得している。
けれど、アイドル歌手として活躍した期間は意外と短い。松田聖子や花の82年組のアイドルとは一線を画す、独自の路線を歩んだ彼女は、80年代アイドルを語る上で貴重な存在だと僕は思っているのだけど、ちょっと肩入れ過ぎかな。
青春のいじわる / 菊池桃子
作詞:秋元康
作曲・編曲:林哲司
発売日:1984年(昭和59年)4月21日
2016.11.20
YouTube / Sunny TAM
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