2月5日

寺尾聰「ルビーの指環」18秒の憂愁イントロにみるカッコいい大人とは?

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80年代ヒット曲 “イントロ秒数徹底調査” 1981年のシングルTOP100篇

1981年 シングルTOP100のイントロ秒数は?


リマインダーで取り上げている1978年~1991年までの14年分を、1年ごとに年間シングルランキングTOP100のイントロ平均秒数を調査し、その結果を紹介していく連載企画。

第6回の今回は、“1981年” を調査します。その年間ランキングTOP10のラインナップと調査結果がこちら。

1位 ルビーの指環 / 寺尾聰(18秒)
2位 奥飛騨慕情 / 竜鉄也(26秒)
3位 スニーカーぶる~す / 近藤真彦(16秒)
4位 ハイスクールララバイ / イモ欽トリオ(18秒)
5位 長い夜 / 松山千春(13秒)
6位 大阪しぐれ / 都はるみ(27秒)
7位 街角トワイライト / シャネルズ(0秒)
8位 恋人よ /五輪真弓(48秒)
9位 チェリーブラッサム / 松田聖子(13秒)
10位 守ってあげたい / 松任谷由実(0秒)
※(カッコ)の数字はイントロの秒数

調査方法は、年間シングルランキングTOP100にランクインした曲のイントロ秒数を、0秒、1~2秒、3~10秒、11~20秒、21~30秒、31~40秒、40秒以上… の7つの長さに分けて集計していきます。1981年の結果をグラフにすると、こうなります!



イントロが短くなる傾向、そのワケは?


平均秒数は17.2秒。前年の1980年の平均が18.9秒、1秒以上短いという結果でした。

イントロ0秒と、1~2秒の曲の合計が、前年の1980年は5曲だったのですが。1981年は9曲と増えているのが、短くなった大きな理由と考えられます。

7位 街角トワイライト / シャネルズ(0秒)
10位 守ってあげたい / 松任谷由実(0秒)
29位 ハリケーン / シャネルズ(0秒)
60位 横須賀Baby / T.C.R.横浜銀蝿 R.S.(0秒)
71位 リトルガール / 西城秀樹(0秒)
81位 I LOVE YOU / オフコース(0秒)
49位 スローなブギにしてくれ(I want you) / 南佳孝(1秒)
35位 悲しみ2ヤング / 田原俊彦(2秒)
70位 ジェラシー / 井上陽水(2秒)

1981年は、『ザ・ベストテン』が9月17日の放送で、最高視聴率41.9% を記録するなど、TVの歌番組が全盛期を迎えた時期。披露する曲もイントロがなく、いきなり歌い出しからスタートすることで、強い印象を与えることにチャレンジした曲が増えていった時期なのかもしれません。こちらに関しては、次回以降、さらに注目してウォッチしていきたいと思います。

五輪真弓「恋人よ」48秒のイントロはどうやってできたのか


年間ランキング8位の、五輪真弓「恋人よ」のイントロ秒数は48秒。TOP100の中で一番イントロが長いこの曲の編曲を担当したのは船山基紀。

船山基樹曰く、この曲は、当初B面の予定で制作された曲で、「お任せする」と言われたので、スケールの大きなバラードだったこともあり、その雰囲気を活かし長いイントロをつけたそうです。

しかし、出来がいいといわれ、急遽A面になることが決定し、結果的に96万枚のヒットを記録。

長いイントロの「恋人よ」は、沢田研二の「勝手にしやがれ」や、渡辺真知子の「かもめが跳んだ日」など、アタマ数秒で心を掴むイントロをどう作るが勝負!をモットーとしたアレンジで多くのヒット曲を生みだしてきた船山基紀の、音楽性の広さを知らしめる1曲となり、今でもスタンダードナンバーとして愛され続けています。

日本の音楽界を席巻、記録にも記憶にも残る寺尾聰「ルビーの指環」


年間シングルチャート1位の「ルビーの指環」は、記録にも記憶にも残る、1981年を代表する曲といっても異論がある人はほとんどいないと思う。

年間チャートに、2位の「奥飛騨慕情」(竜鉄也)や、6位「大阪しぐれ」(都はるみ)など、演歌も上位にランクしていた時代に、ジャズ特有のスウィングにロック要素が加わった、アーバンな大人の色気を感じるこの曲が日本の音楽界を席巻。新たな “発明” といっても過言ではないサウンドが、シングルチャートに新しい風を吹き込んだ。

「ルビーの指環」の編曲を担当したのは井上鑑。著書『僕の音、僕の庭』の中で、この曲を寺尾聰からデモテープを受け取った時のエピソードをつづっています。

「そこはかとない異国情緒というか、無国籍感が漂っていて、映像が見えてくるような雰囲気があった。僕の第一印象は「良質のフランス映画の中で聞こえてくるブラジル音楽」というイメージだった。このことはとても良く覚えている。」

編曲・井上鑑が自由に作り上げた18秒の名イントロ


そして寺尾聰は、井上鑑に、何の規制も方向性も設けず、「自由に!」とアレンジを依頼したそうです。その依頼は良い方向に働き、ギターのフレーズとベースの応答の面白さを聴かせたい! と「♪ ダッダラララー・ラッ、ドドッ」という、18秒の名イントロフレーズが誕生します。

井上鑑は、「思い返してみると、最初に寺尾さんから頂いたデモテープでも、ギターのリズムは若干スイングしていたと思う。だがデモテープにはドラムやベースのパターンは入っていなかったので、ぼくはイントロのフレーズが一番映えるようなリズム感を基本にしてアレンジすることができた…」と、自由に任せてくれたからこそ、このイントロ、この名曲が生まれたと振り返っています。

この記事を書いている私は、1979年生まれ。「ルビーの指環」がヒットした時はまだ2歳。当然、ヒットしていた時期の記憶はなく、小学校6年生の時に親から聴かせてもらったこの曲の第一印象は、「カッコいい大人が歌って、演奏している曲」でした。

今回、改めて「ルビーの指環」を作った寺尾聰と井上鑑のエピソードを深堀りして気づいたのだが、どんな切り口で深堀りしても、すべてのエピソードが、とにかくカッコいいのだ。

初めてこの曲を聴いてから30年以上経ち、40代になった自分は思う―― 辛いことも悲しいことも、“憂愁” をたくさん経験しているセンスのある大人が、楽しみながら自由に作り上げたものが、大衆に受け入れられる。こんな最高にカッコいいこと、他にないんじゃないかと。

自分もいつか、そんな気持ちを味わえるカッコいい大人になるために、今日も「ルビーの指環」のイントロを味わうのさ! ダサいなッ、俺(笑)!




2021.05.31
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カタリベ
1979年生まれ
藤田太郎
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