6月25日

山下久美子デビュー!シングル「バスルームから愛をこめて」ができるまで

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山下久美子のデビューアルバムは1979年から1980年にかけて制作しました。当時渡辺音楽出版の社員だった木﨑賢治さんがプロデューサーで、私はそのアシスタントでした。

やはり新人の作詞家・作曲家だった康珍化・亀井登志夫コンビと、久美子のキャラクターを意識しながら曲作りを進めていった結果、どうもジャジーな曲ばかりになってしまったので、明るい曲も欲しいねと作り始めたのが、アルバムではA面に並ぶ曲たちで、その代表格が「バスルームから愛をこめて」でした。詞曲が上がってきた段階で、がぜんデビューシングル候補になりましたが、木﨑さんはそれには今ひとつサビのインパクトが足りないと感じていました。

そこで、亀井君と康君に会社に来てもらい、その場でピアノやギターを弾きながら、曲の手直しを考えることになりました。「おーとーこーなんてしゃぼんだまー」のくだり、ちょっと水前寺清子っぽい(^^)とも言えるメロディが生まれたとき、木﨑さんはニヤリとしました。それは確かに亀井君の口から出てきましたが、木﨑さんが既に考えていて、そこにうまく誘導したような、横で見ていて、そんな感じがしました。

これはごく最近の話で、木﨑さんと久々食事をしながら四方山話に花を咲かせたのですが、その折、木﨑さんは「CからE7という展開はグッとくるんだよ」としきりに言っていました。「バスルーム」のサビはC→E7なんです……。

さて再び1980年、渡辺プロでは毎週金曜午後、「企画会議」という名の新曲検討会が開催されていました。社長の渡邊晋さんに、各タレントの次のシングル候補の曲を聴かせ、その判断を仰ぐ御前会議です。晋さんの権威は絶対な上に、彼は歌詞の細かいところにまでこだわる完璧主義者でした。彼の一言でボツになったり、完パケ(レコーディングをすべて完了したもの)だったのに、歌を録音し直したりした作品も数々ありました。もっと前段階で聴かせればいいと思われるでしょうが、当時は今のように簡単に完成形に近いデモテープを作ることはできなかったので、ある程度レコーディングが進んだものを聴かせるしかなかったですし、3、4ヶ月に1枚、シングルを出していくタレントも多く、現場はどんどん進めていくしかなかったのです。

大きな宣伝キャンペーンを用意している作品など、やり直しでスケジュールがずれたらたいへんですから、この会議には屡々レコード会社のプロデューサーもやってきて、晋社長にその作品への力の入れ具合を滔々とプレゼンしたり、晋さんも「じゃあ10万枚は売れるな」などとちゃっかり言質をとったりする、まあかなり戦々恐々な会議だったわけです。

「バスルーム」をその会議にかけたのも、もう歌入れまで完了した段階でした。木﨑さんもいましたが、私が説明し、テープを聴いて、社長の言葉をドキドキ待っていると、メロディがよくないというようなことを言われました。そして「こういう(60年代ポップスの)世界なら宮川泰に頼めばいいのに」と。さあ、どうしたらいいでしょう。

若い人たちのために一応書いておくと、宮川泰(みやがわひろし)さんは、「ふりむかないで」「恋のバカンス」などザ・ピーナッツのヒット曲の数々、そして日本ポップス史上屈指の名曲「逢いたくて逢いたくて」などを作曲した大先生ですが、それとこれとは話が別です。

木﨑さんもメロディを変えるつもりはなく、「ミックスダウンをして歌がしっかり出てくれば(社長も)だいじょうぶなんじゃない?」という考えでした。ともかくこのまま進めるしかないけど、何かアクションはしないとと思い、宮川泰さんに電話で事情をお話しし、会っていただきました。そして「バスルーム」を聴いてもらいました。宮川さんは即座に「問題ないよ」と言ってくれました。

次の週の企画会議。また緊張しながら、晋社長にはそのままミックスダウンをしたテープを聴かせました。直したとウソは言えず、「宮川先生に相談していい感じになりました」というような言い方をしました。社長は手直ししたと思ったかもしれません。

「おう、よくなったじゃないか」。

ホッと胸をなでおろしました。


2017.02.11
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カタリベ
1954年生まれ
ふくおかとも彦
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