幼少の頃から歌うのが大好きだった少女。
敗戦後の混乱と疲弊した空気が日本中を覆い尽くしていた時代に突然現れた当時12歳の天才歌手は、たちまち大衆の希望の星となり昭和史に大きな足跡を残した。紅白歌合戦でも常にトリを務め、格別な存在だった。
数々のヒット作を残し、全国民に夢と希望を与えてきた彼女は、1989年6月24日にこの世を去った。52歳。早すぎる死だった。
終戦直後から芸能界に君臨しつづけた早熟の女王が哀調を帯びた声で歌い続けたキーワードは、酒、恋、港、裏町、祭り、人生。繁栄の道を驀進した戦後日本の大衆の心の原型そのものだった。
昭和が終わり、平成に年号が変わって半年。文字どおり、美空ひばりは「昭和の歌姫」として亡くなったのだ。
通算レコーディング曲数は1,500曲、オリジナル楽曲は517曲。そんな彼女の葬儀会場には4万2千人もの人が訪れたそうだ。だが、美空ひばりの伝説はこれで終わりではない。亡くなった翌月の7月、女性としては初となる国民栄誉賞受賞という伝説を残した。
晩年は大病を患い、再起を懸念されたが、執念で舞台復帰。東京ドームのこけら落としとして、1988年4月11日に行われた『不死鳥コンサート』は、未だに語り継がれている伝説のコンサートだ。
信念は時に奇跡を起こす。この復帰公演は2時間半、全39曲を歌いきり、5万5千人の観衆を魅了した。普通に考えれば、肝硬変でまだ足腰に激痛が走る体で39曲も歌いきるのは無理だろう。当時は、美空ひばりが完全に復活した! と言われていたらしいが、今となっては自身の命を削ってでも行った伝説のコンサートとなっている。
「私が生きられる場はここなの。なぜなら、私はそのために生まれて来たのだし、そのために生きてきたんですもの。そしてきっと、私の幸せもここにしかないのでしょう。」
小学校の卒業文集の尊敬する人の欄に、美空ひばりと書いた私。その頃はまだ歌手になりたいなんて思ってもいなかったのに不思議だ。記憶を辿れば、テレビでは亡くなられたひばりさんのニュースや特集ばかり。子供心に凄い人なんだなと思ったのだろう。
一度聴いた歌は一度で覚え、修正は殆どなかった。ましてや歌ってる時に間違うことは全くなかったという。息継ぎの音がマイクから全く聞こえない完璧なブレス。
背負ってきた人生の重みがそのまま歌に出ている。この底知れぬ表現力。日本において今のところ、彼女を超える歌い手は出ていないのではないだろうか。プロの歌手を目指すならば、まずは彼女の歌を聴いて、究極の高みを認識するべきだと思った。
芸一筋に生きてきたひばりさん。在りし日の彼女の歌声・映像を見て、唯一無二の偉大な歌手だと、世代を越えて愛されていることを改めて感じた。
この世を去っても人々から愛され続けている美空ひばりという存在。彼女の歌声は、今も日本中の人々の心の中に生き続けている。
※2017年4月18日に掲載された記事を加筆修正。
2018.04.11
YouTube / Will Chen
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